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2016年07月06日 (水) | 編集 |

情報発信をFacebookに移行したためブログ更新が滞りまくりですみません。

今後は向こうに収まりきらない内容の時や、内輪の話の時なんかにポチポチ書くかと思いますが基本的にはFacebookを見て頂けますと嬉しいです。


さて、昨日アニマルクラブの活動報告がホームページに掲載されました。スマホだと非常に読みにくいので、こちらに全文転載します。長いので写真は割愛します。…が、ホームページにはたくさん載っているので、こちらと文章とあわせてホームページも見てください!






活動報告『寝ても、覚めても…』


【 個人情報流出 】

春の活動報告を書けないままに、もう夏が来てしまいます。春先から尋常でない忙しさに身を置いていました。妊娠する猫が多くなるのも、あちこちの物置などで野良の子猫が生まれるのも、どこかしこで捨て猫が見つかるのも例年のことですが…今年はひっきりなしに相談が来ました。
特に、知らない人達から続々と携帯に電話がかかってきました。そのたびに、「引き取ることはできないが、協力するので、助けるために頑張って欲しい」と話し、個々のケースに前向きなアドバイスと具体的な協力を提案しました。もちろん、引き取ってくれるところではないとわかると、「じゃあ、いいんです」と話を終わりにされたり、「家族と相談してまた連絡します」と言われたのに、《続き》が聞けないことも度々ありました。

途中まで聞いた子猫たちのその後が頭をよぎることもありましたが、「何とかなりそうな子を助ける」ことで精一杯でした。まるで戦争中のように、できることは制約され、選択肢は限られ、関われば想定外のことが勃発して、「引き取らない」はずが、風呂場も洗面所も、待合室にまでケージを置かざるを得ない《難民キャンプ》が続きました。


【 うまい話の罪と罰 】

夜中や明け方に薬を点けたり、掃除や洗い物をしていると…「不幸な命は生まれ続け、可哀相だと思う人は多いけれど、それに行政が適切に応えていないから、伝え聞いたボランティアの携帯電話に、藁の代わりにすがりつく人が多いのだろう。待ったなしの切望や個々の事情や、経済面での要求までもが突き刺さってくる現状は、我々が受け止めきれるものではない」ことを、ひしひしと感じました。
「殺処分するところなら、居なくなるから次々引き取れるでしょう。でも、ずっと生かして養っていくところで、次々引き取ったら…どれだけのお金と人手がかかると思いますか?そんなことができるわけがないじゃないですか?」と、私は相談者に説明します。大抵の人は「そうだよねぇ、そんなうまい話あるわけないよねぇ」と理解してくれます。そこからが、現実的方策のスタートなのですが…、誰かに何とかしてもらうことしか考えない人は、時に恐ろしい過ちを犯していることもあります。

避妊予防センターに野良猫の手術に来た二人組のおばさんが、「子猫生んじゃったんだよね~前は子猫を引き取ってくれる人がいたけど、引っ越してしまったから、困っているのよねぇ」と言いました。
不審に思って聞くと、知っている人でした。一主婦であったその人が、行き場のない猫を次々引き取ったのは、里親探しをするためだったと思います。家庭生活への負担が重くなり、ご主人とも揉めて、経済的にも苦しいと相談されて、避妊手術やワクチンを何度か無料でしてあげました。付き合いが途切れたのは、彼女がパルボに感染している子猫を置き去りにして行った時からです。その後も彼女から貰った子猫がパルボで死んだとか、市内の動物病院の先生から、「パルボの子猫ばかり連れて来る」と聞きました。家の中にウイルスが蔓延しているのに、子猫の引き取りを続けているようでした。
「そうか…あの人、引っ越して行ったんだ、離婚したのだろうか、随分苦労しただろう」と感慨深い私をよそに、おばさん達は彼女の家に行ってまもなく、元気いっぱいだった子猫が死んだと聞かされた話や、猫を引き渡した薄暗い部屋がとても生臭かったら、死んだ猫がいたのかもしれない、なんておしゃべりをしていました。ゾッとしました、彼女の家がどんなことになっていたのか…よりも、そんなところに、何もできない幼子を置いて来て、「お金も渡して来たし、できることはしたよねぇ…」なんて言ってるその人達にです。
憤りをそのままぶつけました。「助けたつもりが、殺したと思うよ。前に預けた猫も死んだって聞きながら、死体があるかもしれないって感じた部屋に、なぜ置いてきたの?」と。子猫がまた死ぬかもしれない予感は、なかったわけではないと思います。まるで、『口減らし』のための《子殺し》みたいです。自分に見えないところで起きたことは、「しかたがなかった」で済ませられるのでしょう。
「だって、私らだって飼えないもの~」と言い訳するおばさん達に、「自分の事情と、猫の命を守ることは別々に考えていかなければならないんだよ」と諭しました。遠慮会釈のない私の話と、自分達も不可解だった経緯がつながったらしく、おばさん達は募金箱にお金を入れて、お礼を言いながら笑顔で帰って行きました。

私は、まだ付き合いがあった頃に、彼女から引き取った弱々しい子猫が、ケイレンを起こした後で冷たくなっていった夜のできごとを思い出していました。ひたすら暖めながらも、このまま息を引き取るのだろうと思い込んでいました。痩せっぽちの茶トラの男の子は、何度も息が止まったかと思いましたが、午前2時に大きな声で鳴き出して、ミルクを飲んで、奇跡の生還を遂げたのです。この子は姉妹2匹と共に、仙台の里親さん宅に行きました。見事なデブ猫に変貌を遂げて、毎年、避妊予防センターにワクチンに来てくれます。兄妹揃って里親さん宅に迎えられたことを伝えた時、彼女はとても喜んでいました。「不幸な子猫を助けたい」純粋な志から始めたことだったのだろう、と想います。見過ごしにできない人に押し付ける人々、そして自分の力量を超えて引き受ける人…人間の都合や感情で転がされる命を、守り導くことができるのは、やはり人間の《知恵と勇気とコミュニケーション》だと、感じます。

社会貢献していますが、公務員ではないので、どんなに頑張って働いても、この忙しさはお金を生みません。むしろ、関わるほどお金は出て行くので、他でお金を稼がねばならないのです。「そこをうまくやって、活動で収益を上げて、給料をそこから得てこそNPOだよ」なんてアドバイスは、「いろんなことを諦めながらも、なぜボランティアを続けるのか?」を理解し得ない人の考え方だと感じます。
避妊予防センターが一般の動物病院と同様の料金を取り、どんな境遇の人からでも費用を払ってもらうのならば、その存在の意味を見失うし、たとえ幾らかの収益が上がったとしても、それは衣食住が足りている自分よりも、明日の命がわからない野良猫や、守る力のない飼い主と暮らす猫や犬のために生かすことが、私達の望みなのです。

もっとも、《収益が上がる》ことは、おとぎ話になってしまいました。震災後は年々収益は下がっています。週1日の開院となった避妊予防センターは、この春、疾風怒濤の煩雑ぶりでした。手術が深夜まで続くこともあったし、それでも追いつかず、獣医さんと看護士さんに休日出勤してもらって、手術をこなした日も何度かありました。薬品類の購入費も、週2日開院していた頃よりも多いくらいです。
それなのに、なぜ収入は少ないのか?それは、お金の入って来ない手術や治療の割合が多くなったからです。避妊・去勢手術の他にも、大ケガをしている猫や重い障害を持った猫も連れて来られて、大手術を受けることもありました。「普通の動物病院なら10万、20万かかる手術が、あそこなら格安でやってくれる」というような噂が流れているらしく、多くの野良猫が医療の恩恵を受けました。飼い主がいても、「他の病院で診てもらったら、とても払えない位かかるって言われて…」と連れて来られる猫や犬もいます。この意味においても、避妊予防センターは、役割を果たしていると思います。でも、誰もお金を出してくれる人のいない野良猫の費用は、飼い主がいる子達から得る収入で賄うコンセプトでしたが、現実には、開院日が減ったことで混んでいるため、普通にお金を払える人達は、他の病院に流れてしまいました。赤字の避妊予防センターを支えているのは、それを承知で来てくれる里親さん達や、そしてカンパを送ってくださる皆さんのおかげなのです。
震災後、被災地には以前の生活を取り戻せない人達がいます。もともと貧しかった人は、さらに困窮している現実も聞くし、《被災者慣れ》して、何でもかんでもやってもらって当然のように認識しているタイプの人達が、仮設住宅に残っています。どこの仮設にも、「引っ越して行った人が、餌付けしていた野良猫」がいて、「妊娠している」「子を生んで増えた」とい訴えてくる人の多くは、「置き去りにして行ったんだよ~」と、非難している人達と同様にエサを与えるだけで、お金も手間も「ボランティアさんがしてくれる」と思っています。「費用はかかるんですよ」と言っても、「自分の猫でない」「エサ代だけで精一杯」と始まり、「家も流され、財産も家族も無くした」話を、免罪符のように提示してきます。どう折り合いをつけて、「親は手術して、子猫を里親探しまで保護してもらい、引っ越す時には猫達をどうするか?」は、TPP(try personality psychology) を駆使して、ケースバイケースで交渉ですが、手術までは持っていけても、その後の責任や費用の回収は、逃げられっぱなしです。



【 眠りの国へと 】

私は根性はないので、寝ないで働くことなどできません。アルバイトからの帰り道、駐車場に車が入った瞬間に寝てしまったり、お風呂に顔が入って津波の夢を見たり、歯磨きを飲んで咳き込んで目覚めたり…震災直後の《睡魔との闘い》再来の日々でした。
当然、忘れたり、なくしたり…過失も増えました。やらなきゃないことが山積みなのに、置き忘れた物を捜している自分に腹が立ち、情けないまま半日過ぎたら、誰かに救いを乞い、窮場を凌いできました。私はすぐに人に助けてもらおうとするから、精神のバランスは崩さずにやって来れたのだと思います。

そして、このあわただしさの中でこそ、瞬時にいろんなことを想いました。自分では5分位のつもりが、ハンドル握ったままで1時間経っていたり、湯船に45分浸かっていたり…お腹がすいてお菓子を取りに行った戸棚にもたれて夜が明けたり…、浅い眠りの中で、幼い日の自分や、もう会えなくなった人達に出会いました。これまでの生き方も、影響を受けた人々も、今につながっていて、これからの自分を創っていくことを感じました。
どこででも寝てしまうから、「起きていられる間に、できるところまでやってしまおう」と心がけています。その割りには、成果が見えないことも多く…「何もしてないのに、疲れた~」という独り言が口癖になりました。一つの用を終わらせないうちに、次の動作に移るので、ついていけない顔面に小さな傷を何回も作りました。それは、とりもなおさず、決して優秀なわけではない私が、子供時代に痛感した動物たちの痛みや不条理への反発を、社会に投げかけ続けても、「善きことはカタツムリの速度でしか進まない」現実の一方で、年老いてきた自分の限界を知ることでもありました。

そして、それを悟ると、「今できることをやっておかないと…」という衝動と、「先が長くない命には、今手をかけないと…」という焦燥に駆り立てられて、ますます、《猫だらけの日々》にがんじがらめになっていきました。助けたいという願いの陰には、消えていった命があります。苦境を越えて豊かな日々を生きた命と、日の目を見ずに消えた命の両方を知っているから、何とか生かして、楽しいことや美味しいことや、「人間もいいもんだにゃ~」という暮らしをさせたいと願うのです。



【 わかれうた、鳴り止まず 】

《まめつぶ》
1月にキタを看取った後で、2、3年前からアニマルクラブの外猫に仲間入りしたものの、絶対に捕獲器には入らず、去勢もできなかった根性も容姿も筋金入りの野良猫『まめつぶ』が、目に見えて弱ってきたので、猫小屋に入っている時に、出入り口を塞いで、小屋ごと家の中に運んで、何とか捕獲しました。去勢ついでに、麻酔下での診察と血液検査で、腸に癌と思われる腫瘍があるようだと言われました。もう手術も無理ということで、ケージに入れて、自宅に置きました。
当初は、ケージの中でも威嚇して、ごはんの茶碗もひっくり返すので、炉端焼きみたいに、お玉に茶碗を乗せて、顔の前まで運ぶことにしました。まめつぶはどんどん弱って動けなくなり、やがて寝たきりになりました。初めてシリンジで水を飲み、ジッと穏やかな目でこちらを見るようになり、死期が近いことを感じました。
野良猫でなくなったまめつぶは、2月半ばに、暖かい部屋の中で、息を引き取りました。それはまめつぶ自身が望んだ終末ではなかったかもしれませんが、私にとっては、人知れず苦しんで、なお脅えながら死んでゆく野良猫の最期を、改めて認識する機会となりました。


《ムー》
そして、4月には、これまで虹の向こうに旅立つ仲間ひとりひとりに、最期まで付きっきり付いていてくれた《介護猫》のムーばあちゃんが、静かに息を引き取りました。ほとんど手も煩わせずに逝ったから、なおさら…決して目立つキャラクターではなかったこの猫の存在が、いかに大きかったかを失って初めて知りました。
前の飼い主に「預かって欲しい」と連れて来られてそれっきり…すでに10歳を過ぎていると聞いて、あれから10年余、ムーはたくましく、明るく、そして優しく生き抜きました。他の人から見れば、ヨレヨレの汚い婆ちゃん猫でしたが、お茶目なムーがいなくなって…動物愛護の担い手としてではなく、家族として心から「寂しい」という喪失感がつきまとい、今こうして書いていても『鬼の目にも涙』だから、長くは書けません。


《面影》
ムーとは逆に、震災の前の年の夏、ノミだらけで行き倒れていたところを連れて来られ、そのまま置いて行かれてしまった『面影』は、様々は薬や療法食も効果がなく、慢性の下痢が治らない、非常に手のかかる猫でした。でも、震災直後からずっと、山形から通って来てくれる加藤さんのお陰で、アニマルクラブで二段ケージの中にペットシーツを敷き詰めて、閉じ込められていた面影を、私が暮らす借家に連れて来ることができました。
いつもケージの中から「出たい、出してよ~」と鳴いていた面影を、畳の部屋にウッドカーペットを敷いてもらって、自由に出してやることができたのです。年々症状は悪くなり、面影は痩せ衰えて、下痢の回数も増えて部屋中を汚して、踏んで歩いて…時には嫌気が差しました。その都度、加藤さんは、大型トイレを並べられ、汚れも簡単に拭き取れるトイレ置き場を作ったり…手を加えて、面影や同居の猫が、できるだけ快適に暮らせるように工夫してくれました。

他の施設であったなら、面影はずっとケージの中で、もっと早くに死んだかもしれません。震災という不幸な出来事で多くを失った一方で、出会うことのできた加藤さんのお陰で、猫達が望む暮らしを実現できることは、何よりの財産です。
面影は力の続く限り、仲間と暮らす生活を味わうことができました。体は紙切れのように痩せましたが、白髪も増えて、かなり高齢であっただろう面影は、晩年をちゃこブーの《一の子分》として過ごし、6月初めに私の傍らで生涯を閉じました。6年前の夏、行き倒れて死んでゴミにされなくて、本当に良かったと思います。

そして、面影がいなくなると、部屋は嘘のようにきれいになって…《地獄の仁王様》のように怖いちゃこブーの検閲はあるのですが…何とか通過した2匹と、許可は出ないものの、他の部屋でもうまくやれない『ラジオ』も、3段ケージを組み立てて、引っ越しました。チャコが因縁つけるから、1階には降りられないように塞いで、1階はチャコの弟分の『ミケン』の食事処にしました。複数飼いの鉄則は、『誰が、何を、どれだけ食べたか?』が判るように、別々に食べさせることです。
「できるだけのことをして面影を見送った後には、こうして面影が、3匹暮らせる場所を空けてくれた」ような気がします。旅立つ命は何かを教えたり、残したりしていきます。2年前、面影と似た配色の子猫が来た時は、迷わず『ちびかげ』と名付けました。この子は布製品を食べる癖があるので、里子には出さずに残留しています。他にも…グリの小型版の『こぐり』、団蔵と同様に、交通事故で前足を切断した子猫は『豆蔵』…今は亡き猫達の名前は後輩達につながり、宮沢賢治が言ったように『命は繰り返される営み』なのだと、改めて感じるのです。

高齢化が進む収容猫の最期を看取るホスピスとして、集団生活の中ではリスクが多い脳障害や性格に問題ある子、体の不自由な猫達のケアハウスとして…いつの間にか自宅は、19匹の大所帯です。腎臓病や胃腸病持ちが多いので…朝はあっちでゲコゲコ、こっちでゲロゲロ、《嘔吐協奏曲》鳴り止まず、「ベッドから降た途端に踏んだら、今日はアンラッキー」みたいに…《嘔吐占い》も日常になっています。
散歩、ごはん作り、掃除…早朝からの肉体労働を終えて、やっと座っての昼ご飯も…泥棒集団に囲まれます。ケージやキャリーに閉じ込めればうるさいし、落ち着いて食べることができません。布巾や醤油を取りに行く間でさえ、いちいち電子レンジの中に、ご飯一式しまってからでないと席を立てない不自由さに、食べる気が失せる時もあります。時にはうっかり盗まれて、ベッドの下を油だらけにされて「もう二度と家ではご飯食べない!」などとヒステリーを起こすのですが、寛容な心を持つしか、救いの道はないのは、国際争議と同じです。


《レオ》
そして、津波の中を生き延びた命が、また一つ燃え尽きました。ドキュメンタリー映画『動物たちの大震災』にも登場した、秋田犬のレオです。
レオは、石巻市街地で最悪の津波被害を受けた門脇町で暮らしていました。飼い主のご夫婦は亡くなっています。家も流される惨事の中、どこをどうやって、一命を取り留めたのか…震災の数日後にトボトボ歩いているところを見つけた人が、石巻警察署に連れて来たそうです。当時、石巻保健所は機能していなくて、大崎市の保健所に送られたことを、担当課の職員が不憫に思い、電話が回復した後に、アニマルクラブに相談をよこしました。
震災後、被災犬の保護に同行してくれていたボランティアのおじさんが、秋田犬が好きだったので、大崎保健所に送られた犬のことを話しました。そしたら、「俺が面倒見てやるよ」と言ってくれたので、大崎保健所に連絡して、引き取って来ました。
こう思い起こしただけでも…レオは運の強い犬でした。さらに、身の上まで判明しました。アニマルクラブで公開していた『被災犬・猫情報』を見て、飼い主の娘さんが連絡をよこしたのです。こうして、家族とも再会できたのですが、娘さんもそのお兄さんも、今はレオを引き取れる状況ではないということで、しばらく預かって欲しい、と頼まれました。この時、レオがすでに10歳を過ぎていることを聞きました。

しかし、1年経っても2年過ぎでも…レオが帰れる家はなく、去年からめっきり足腰も弱くなったので、息子さん夫婦に「介護が必要になれば、おじさんでは面倒見きれないから、犬を飼える借家を探して引っ越して欲しい」とお願いしました。しかし、言い訳ばかりで…動いてはくれませんでした。
人の心とは、なんと移ろいやすく、いい加減なものだろう、と感じました。レオが生きていたと知った時には感激して、「親の形見だ」と喜んでいたのに…5年経っても迎える家は用意されることなく、立て替えていた費用も完済されてはいません。「お世話になった感謝」がいつの間にか「もっとお世話してもらいたい甘え」になり、《自分の都合》を『できない事情』にすり替えて、スルーしようとする人が大勢います。そんな人達に『糠に釘』の論争を仕掛けても、動物達は助からないので、できることだけは、やってもらうしかないと考えるようにしています。
5月半ば、おじさんから、レオの後ろ足が動かなくなったと連絡がきました。「レオちゃん、もう歩けないよ」と聞いて、すぐに頭に浮かんだのは、ハエに卵を産みつけられて、ウジ虫が発生することでした。そうなってしまった犬や猫を…何度か見てきたからです。ウジ虫はものすごい勢いで増え、床ずれの褥瘡や肛門から入ってどこまでも食い破って進むから、動けない動物にはどれほどの苦痛でしょう…。

加藤さんの出番です。犬小屋を修理をして隙間を塞ぎ、床を敷き直し、網戸を張り、おじさんが「オラも住めるな~」と言うくらい、立派になりました。アパートの二階のおじさんの部屋から、屋外用延長コードを3本つないで、小屋の中で扇風機も回せるようにしました。
「病院で診てもらおう」ということになり、送迎を息子さんご夫婦にお願いしました。「老衰」と言われたそうです。大型犬で16~7歳は、なかなかいない長寿です。
食欲もあると聞いていましたし、お見舞いに行って小屋の扉を開けると、レオは前足で居座って出て来て、嬉しそうにしていました。おじさんは、ウンチもオシッコも垂れ流しになるレオを、まめに洗って、小屋の中は大判のペットシーツと皆さんからいただいていたタオルケットなどが敷かれて、きれいにしてくれていました。
しかし、大型犬をずっと飼ってきたおじさんは「こんな状態が長引くようなら、安楽死してもらった方がいいんだ」と当然のように言い、飼い主の息子も「両親の分も頑張ってここまで生きて、最期に苦しむのは可哀想だから安楽死してもらった方が…」と、妙なところで意見が一致していました。《犬は人間のために存在している》という考え方です。

しかし、アニマルクラブには、レオを引き取って世話をする場所も人手もないのです。頼みの綱は、おじさんの家の近くに住んでいる『てい子』おばちゃんでした。彼女は60代の主婦ですが、動物への思いやりと行動力にかけては天下一です。山に捨てられていた沢山の猫達の相談に来て知り合い、協力を約束したら、早速捕獲を開始して、19匹も保護してくれた《鉄腕ダッシュ》です。その後も、町内に虐げられている猫や犬がいると聞くと、飛んで行ってせっせと世話したり、飼い主を諭したり交渉したり、警察や保健所にも出向いて…『すべては愛のために』のアンジーのような女性です。てい子さんは、毎日のように通って、レオだけでなく、お世話するおじさんに差し入れしたり、励ましたり…サポートしてくれました。
これからが長丁場になると思っていました。それなのに…6月13日の夜におじさんから電話があり、レオが苦しそうに鳴きだした、というのです。もう病院は終わった時間でした。私は避妊予防センターの準備でやることが山積みでした。もっとも私が駆けつけても何ができるわけでもないし…てい子さんに行ってもらいました。電話で様子を確認し、翌朝、先日行った動物病院に運ぶことをお願いしました。飼い主の息子宅にも知らせました。しかし…朝を待たずにレオは亡くなってしまいました。
翌日、レオは、息子夫婦が火葬場に運びました。お骨を巡っても…おじさんは震災後暮らした庭に埋めると言い、飼い主側はおじさんの所有地でもない場所に埋められたくないと言い出し、ペット霊園と考えたようですが、費用が高額だったようで、結局レオは、私の自宅の納戸を加藤さんが改造して作ってくれた《納骨堂》に収められました。
穏やかに生き抜いて、まるで世話になった人達に迷惑をかけまいと逝ったような…潔い最期でした。写真に残るレオの困ったようなひょうきん顔は、「人間はそれぞれ勝手なことを言うけれど、言葉の奥にある想いを理解する寛容さを持てば、嘘から誠が出ることもありますよ」と私に遺言しているような気がします。



【 命の洗濯 】

超多忙の春から夏の間に、一度だけ遠征することができました。5月末、煩わしい日常から抜け出して向かったのは、千葉県柏市と、東京です。新幹線の中で、年末からの激動の半年間を振り返りました。長年のボランティアさんと頼りにしてた有給ボランティアさん…続けてが3人が抜けてしまったのです。「津波でなくした家を再建するために、フルタイムで働かなければならなくなった」、「震災後、職場がどんどん忙しくなって休めない」、「動物の世話はキツくなってきた、もっとラクで安定した仕事に変わりたい」…震災は生活に影を落とし、年月は人々の状況や考えを変えていくことを感じました。ボランティアは気持ちで動くもので、何の拘束力も義理もありません。これまでを想えば感謝の一言だし、その人がいなくても、明日からも同じように必要なことをこなしていかなければなりません。新しい働き手を探して、コミュニケーションを取り、仕事を覚えてもらうことから、また始めなければならないのです。

追い越して行く知らない町の景色を見ていたら、彼の言葉が浮かんできました。「他の人は、嫌になったら辞めればいい。私だって車椅子を送ることに疲れたら、辞めてもいい。しかしあなたは、辞められない。相手が命あるものだからです。だから、あなたは大変なの。だから、私はあなたを応援します」大阪在住の《詩人》トーマス・カンサさんです。祖国南アフリカ共和国に、日本では壊れて使わなくなった車椅子を修繕して送る活動をしています。震災後に、突然自転車でアニマルクラブにやって来ました。大きな体で手振り身振りを交えて、きらきら光る瞳で、大阪弁で人なつこく語りかけるから、アポなし来訪者には決まって嫌な顔をする私も、つい引き込まれて笑顔になってしまいました。それからも年に1~2回、『風のトーマス三郎』は突然現れ、どこからか集めて来てくれたカンバを置いて、一編の詩のようなメッセージを残し、《風と共に去り》ゆくのです。

震災後に出会ったいろいろな人に支えられて今日を生きる私は、震災で別れた隣人を訪ねて、千葉県に向かっていました。大切に抱えていたのは、アニマルクラブの敷地内で暮らしている野良猫『にせお』の実物大のそっくり人形です。アメリカのサラさんのお手製の傑作です。
にせおは、アニマルクラブのすぐ近くにある私の実家のお隣の、鈴木さんの家に住み着いていた野良猫でした。白地にキジトラの大きなオス猫で、おばあさんは『しまたろう』と呼んでいました。おばあさんは静岡から嫁いで来た人で、近くには縁者も少なく、子供もいないので、震災の数年前にご主人を亡くしてからは、しまたろうを話し相手に暮らしていました。自由に内外を行き来して、お刺身や焼き魚をお相伴して、幸せだった暮らしは、震災で一変。しまたろうは、半月くらい行方不明になりました。一方、おばあちゃんも避難所生活になり、そして3月末には、千葉県から甥っ子さんが迎えに来て、連れて行かれたことを、後から母に聞きました。
震災がなければあの家で暮らし、いよいよ体がいうこときかなくなって、施設に入ったにしても、石巻市内の老人ホームなら、時々会いに行けたでしょうが、千葉県ではそうもいきません。たまにおばあちゃんと電話で話すのですが、しまたろうとの思い出ばかり言うので、もう会うことはできないことが可哀想でなりませんでした。何度か写真は送っていましたが、だんだん老いて、言葉数も少なくなるおばあちゃんがボケてしまう前に、何とかできることを考えた結果が『しまたろう人形』の製作でした。これができるのは、世界中に唯一人、海の向こうのサラ・イタミさん以外にはいません。
いつもながら、サラさんの《風神業》には、驚きます。お願いして2週間もしないうちに、「できた!」とメールが来たのです。サラさんはいつも犬の人形を作っているから、最初のしまたろうは、ちょっと面長で犬っぽい顔をしていました。正直な感想を言うと、2日後に「整形しました」とイケメンの写真が届きました。いやいや、びっくり!そういえば…以前こんな風に言ってました。「お金をもらっても気持ちが乗らない物は作れないの。私が作りたいと思うものは、自然にできていくのよ」~サラさんは、まるで手塚治虫の漫画に出てくるような…神秘的なクリエーターです。
大宮から2本乗り換えて、随分時間がかかりました。ずっと隣に住んでいた老人が、今はこんな離れた所に独りでいるのかと想うと、切なくなりました。きれいな建物で、廊下には、食事の献立や趣味の集いの案内などが掲示されていました。おばあさんは、個室でひっそりと暮らしていました。電話では少しボケてきたように感じましたが、昔と変わりありませんでした。私の娘や甥っ子や、母親のことを聞いてきました。おばあさんが行っていた近所の美容院の美容師さんの写真にもすぐ反応して、「毎年春にタケノコもらったよ、柔らかくて美味しかった」と懐かしそうでした。遠くにいる私ができることは、こうしておばあさんが長く暮らした石巻で、付き合いのあった人達とのきずなを、もう一度結びつけることだと思います。
枕元には、30代の若さで亡くなったという、最初のご主人の写真が飾られていました。大学ノートには、猫とバレリーナのような…踊っている女の子の絵ばかりが描かれていました。心は少女の頃に戻ったのかもしれません。アニマルクラブでは『にせお』なんて不名誉な名前で呼ばれていますが、正式名は『鈴木 ゴーゴリ しまたろう』だとか。野良猫にロシアの文豪の名前を付けたのは、東京外語大卒の小説家志望だったという、写真の彼の影響でしょうか?甥っ子さんが迎えに来て、「石巻を発つ前に家に戻ったら、しまたろうが居たんだよ。ああ生きていたんだ、良かったね、って言ったの。最後に会ったんだよ…」という話は、この時初めて聴きました。人は望むようにばかりは生きられないけれど、様々な場面を生き抜いた最後には、なりたかった自分になって、行きたいところへ行って、会いたい人に会えるのかもしれません。

愛おしそうにしまたろうを抱くおばあさんに別れを告げて、今度は東京に向かいました。明日は、猫の里親で、アニマルクラブの支援者で、デザイナーの久世アキ子さんの個展に行くのですが…今日の残り時間で探しに行きたい、買い物があったのです。



【 東京めぐり逢い 】

私は正真正銘の《おのぼりさん》で、私の《はとバス》のガイドは、宍戸監督です。宍戸さんは、私のリクエストに応えて、まずお洒落な街、広尾に案内してくれました。アニマルクラブを支援してくださっている神戸のジャーマンホームベーカリー『フロインドリーブ』の東京店があるからです。いつもご馳走になってばかりいる美味しいパンやお菓子を、自分の目で選んで、わずかでもお金を払って買ってみたかったのです。どれにしようか?本当に迷って、そんな無邪気なことを悩める幸せを感じました。
帰り道に偶然、戦後の少女達に夢を与えたデザイナー、中原淳一のお店を見つけたのも儲けものでした。私はソレイユ世代ではないけれど、高校生の頃に愛読していた『詩とメルヘン』に、寺山修司が紹介していました。あの頃から動物の活動はしていましたが、他のことも楽しめたし、自由な時間がたくさんありました。何にしようか、店内を見回し、最近ついに買ってしまった老眼鏡のお供に、見覚えのある赤い水玉模様の帽子と蝶タイの、ツンとすました大きな瞳が美しい女性の絵の、メガネ拭きを選びました。
広尾の後は下町、谷中です。《猫通り》があるのだと、はとバスガイドは得意顔でしたが、この人の情報はうる覚えで、詰めが甘いことから、私達はよくケンカになるのです。この時も夕暮れにかかると、下町は店じまいが早く、ボランティアさん達へのお土産に、猫のチョコと手作りの飴を買ったところで、ツアー終了になりそうでした。「えーっ、肝心なもの、まだ買ってないよ~」私は出会いを求めて、ここに来たのです。昨年子猫の里親になっていただいたご夫婦の、旦那さんがガンで急逝した知らせを聞いて、車椅子の奥さん1人が2匹の猫と暮らす家に、何か少しでも…心を明るくする贈り物をしたかったのです。
ガラガラと軒並みシャッターが閉まる通りを小走りに…吸い込まれるように私は、たくさんのランプが吊り下げられた店に入り、導かれるように、一つのランプを見つけました。そこは、お客さんが、ステンドグラスのように色とりどりの小さなガラスを貼り付けて、オリジナルのランプを手作りする工房でした。私が指差したランプは、見本として飾られていたようです。灯りの下に、睦まじい姿の2匹の猫がお座りしていました。「あのランプを売ってもらうことは、できませんか?」と声をかけました。

奥さんのMさんから訃報を聞いたのは、数日前のことでした。忙しい私を気遣って、葬儀が済んでからお知らせくださったのです。私とて忘れていたわけではありません。むしろ、やることがたまって身動き取れない時ほど、Mさんの旦那さんはどんな具合だろう?と気になりました。でも、今すぐに自分が行けるわけでもないと思うと、聞くに聞けずに、日常に追われていました。ご主人は被災地の福祉担当の職員として、奔走してきました。定年を来年に控え、これから自分と奥さんのために時間を使うつもりだったでしょう。そして、障害者である妻を残して自分が先に死んでしまうなんて、どんなにか悔しくて、心残りだったでしょう。東京から戻って、避妊予防センターをやって、週末に猫のお見合いに行って、週が明けたら…お参りに行こうと決めていました。

翌朝、私はフロインドリーブのパンで『ティーファニーで朝食を』のヘップバーン気分になり、再び、はとバスツアーに乗車。途中、《アニマルクラブ東京支部長》ともいうべき則子さんも便乗して、『久世アキ子のネコ展』に向かったのです。則子さんとは同い年、『突っ走るけど、うっかり屋』の共通点もあり、待ち合わせ場所に、東京生まれのくせに、不安そうな顔をして立っている姿が自分と重なって、嬉しくて…声を上げて笑ってしまいました。

そして、久世さんは《素敵に年を重ねるお手本》みたいな方で、私が女性誌の記者だったら、いろんな角度から彼女を紹介したいです。個展初日この日も、会場に本人の姿はなく、遅れた理由は…「作品が3つなくなっちゃったの~」と言うのです。聞いた誰もが、きっとゴチャゴチャしているであろう…夢の製作現場のどこかに埋もれているのだろうと想像しましたが、当の本人は、怪盗ルパンが現れたのかと想っているあたりが…またチャーミングなのです。会場で知り合った、ご近所に住むファンの方からは…「普段はこんなお洒落な格好じゃなくて、猫の煮干しを買いに来たついでに、家の外から呼ぶんですよ~あなた、最近来ないじゃない、顔見せなさいよ~って」なんてお話も聞けました。素顔も生き生きしていますね~。
久世さんからも、Mさんにあげたくなるお土産をいただきました。コルゲンの『ケロちゃん&コロちゃん』です。Mさんもきっとおなじみの、懐かしいキャラクター、こちらも仲良しペアなところが、またぴったりな贈り物だと感じました。日本中の人が知っているだろう《薬局の青ガエル》の他にも、お隣の懐古展会場には、「あー、このマスコット知ってる~」「持ってたな~このハンカチ」「えーっ、このCMも久世さんなの~」と…彼女が手がけて、世に出た作品の数々が展示されていました。洗練された躍動感と媚びないユーモアが久世さんらしいな~、と感じました。

そして、『ネコ展』は猫愛に溢れ、夢に満ちて「こんな街に住めたら幸せ~」と魅了されました。花屋さん、骨董屋さん、招き猫屋さん、ナチュラルフードのお店…どのお店もネコと猫好きが自然に融合して、和気あいあいのハッピータウンです。素材がダンボールやマッチ棒やロープやペットボトルの蓋など…生活の中でゴミとして捨てられている物を生かしているところが、カッコいいです。
ワクワクしながら会場を一周して、もう一度回ると…細かい発見がまたあって、ドキドキときめいてきます。本屋の棚に並ぶ本は全てネコのタイトルだし、靴屋には猫のカタチの靴があり、看板屋には、ド迫力の猫が描かれていました。街角や各店内には『脱原発』や『戦争法反対』などのポスターも貼られていたりして…大胆に見えて、繊細なところが芸術家です。
そして、さらにもう一周すると、この街の人々の喜怒哀楽と猫達の仕草が、絶妙に絡まって、メッセージのように心に届くのは…長年CMのクリエーターとして活躍してきた人だから、成せる技だと感心しました。
則子さんは大感激のハイテンションで、私達にも買える小さな作品を見つけて、1つずつ手に入れたので、ご満悦。会場で知り合った動物愛護家の方々ともすぐに仲良くなって、久世さんのお宅を訪ねる約束もして、超ハッピーな様子でした。



【 人生の交差点 】

帰りの新幹線の中で、「来れて良かった」としみじみ思いました。《あの日の笑顔》があるから、生きていけることを、若い時は解りませんでした。明日笑顔になれないのなら、生きていても仕方がないように不遜に構えていました。
Mさんの旦那さんが奥さんの車椅子を押して、里親探しの会場に何度か来て、いつも募金してくれて…先住の『慶六』ちゃんのことも気遣い、2人で考えて話し合って…ずっと貰い手が決まらなかった、ハリガネみたいに痩せて、バリ島土産のネコみたいに可愛くなかった『バリ』を迎えてくれた日は、旦那さんも、Mさんも、私も、バリも…みんなみんな笑顔でした。去年の秋のことです。寒くなって来た頃に、病気が見つかったと聞き、入退院を繰り返す生活になり、自宅に帰って来ていた時に2回お会いしました。会う度にげっそり痩せていましたが、「早期退職をして、やりたいことをするんだ~」とおっしゃっていました。私の父親も56歳の若さで亡くなる前に、同じことを言っていました。

予定通り、週明けに、私はMさんのお宅を訪ねました。東京で見つけた贈り物の他に、前にお土産に持参して旦那さんに喜ばれた生ウニと、食欲が落ちてからも「これなら食べられるといただきましたよ~」と聞いた、イチゴも持参しました。お二人はクリスチャンなので、仏壇のようにお線香はありません。バラの花に囲まれた遺影の前で、これまでとこれからを話すことが、供養なのだと感じました。「仏壇の提灯のような明かりがないから、部屋の照明を消すと真っ暗になるのが嫌で、夜はずっと点けていたの。これは、ちょうどぴったりだわ~」と、Mさんは猫のランプを喜んでくれました。バラの隣に、「本当はこれを食べさせたかった!」殻付きの生ウニと、大粒のイチゴを並べて、カエルのケロちゃん、コロちゃんも置いたら、Mさんが笑顔になりました。『ピッピ』になったバリも、はしゃいでいました。旦那さんの愛猫の慶六ちゃんも、初めて間近で会えました。

生まれつきの障害を持ち、施設で生活していたMさんと、職員として入ってきた彼が恋をして、若い2人は結婚することを決めたそうです。思いやりが深く真摯で、仕事にもひたむきに取り組んで社会貢献してきた彼なのに…容赦なく命は奪われてしまいました。津波で亡くなった、私達の仲間、五井美沙さんも然りです。
子供の頃は、善行を積めば幸せになれると教えられましたが、人生最初の挫折は小学校2年生の時に、その理屈では、戦争で罪もない人々が犠牲になる現実を説明できない、と気づいた時でした。自分の意志でコントロールしきれない命に対して、残し伝えることができるのがその人の生き方なのだと、私は小学校の図書室で学びました。宮沢賢治、リンカーン、ガンジー、小説の中の登場人物からも…教えられたことは、今も心の奥底に根を張っています。学校で一番本を借りた文学少女でしたが、中学生になって、頭の中で納得しても社会は何も変わないと感じると、興味は実践に移っていきました。大学は心理学科でしたが、学校で教わったことなど何の役にも立たなくて、《人の心》は、アニマルクラブの活動で翻弄されながら、今も学び続けています。
長さも、どこをどう通っていくかも…なかなか選べない人生だから、途中の出会いがあるかないかは、大きな分岐点になると思います。別な誰かの人生との交差点で…荷物を持ってもらったり、火に当たらせてもらったり、水を飲ませてあげたり背中を押してあげたりしてきました。一服の絵のように心に残る時間を共有すると、《希望》というランプが心に灯ります。希望は、困難の先にあるものを照らし出してくれます。

会えぬまま、私がお二人を案じていた時、旦那さんが先立った後のMさんを想うと、まるで貝殻を耳に当てたみたいに、記憶の彼方から聞こえてきた中島みゆきの『雪』のCDを送る約束をして、別れてきました。もう一つの約束…「この次はピッピの爪も切ろうね」~これは、洗濯ネットが必要そうでした。
帰りの車の中で、ラジオがクマが人を襲うから射殺するニュースを伝えていました。山に食べる物が乏しいのか…野良猫の餌場にも、タヌキやハクビシンなどの野生動物が来て、野良猫が追われたり、カイセンをうつされた話を聞きました。避妊予防センターにも、「キツネに襲われたのかもしれない子猫」が首をぐるりと、肩から前足まで、大きな傷を負って、連れて来られました。生態系の変容は、自分達が被害を受けたから『排除』する、という策だけでは、解決には届かないでしょう。《難民を受け入れない自国の安全策》みたいです。
アニマルクラブの風呂場や避妊予防センター待合室にも、また新しい難民が流れて着きました。「助けたいんです」と言ってた人が投げ出した野良の子猫達が…恐怖におののいて威嚇しまくっています。
一寸先は闇だけれど、明けていく夜と朝焼けと白い空がステンドグラスみたいに綺麗です。七夕の夜空のような希望を散りばめて、《捨て猫シーズン》を乗り切らねば…。次はあまり間を空けずに報告したいです。お礼状の発送も遅れっぱなしですが…ご支援に、心から感謝いたします。

2016年7月4日





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2016年05月01日 (日) | 編集 |
【避妊予防センターからのお知らせ】

誠に勝手ながら
5月5日(木)は外来休診致します。
当日は予約の手術のみとなりますので、お間違えのないようお願い申し上げます。
ご迷惑お掛けしますが何卒ご理解のほどよろしくお願い申し上げます。






ちょっと痴呆気味のおばあちゃんは、大の動物好き。

餌付けした野良猫がなついて、家の中まで入って来てにぎやかになりました。

母さん猫は昨年秋に子猫を産み、今年の2月にまた産んで、今また妊娠中でした

そして、秋口に生まれた娘猫も、何もしないでいる内に成長し最近5匹も出産してしまったのです。

20160501113519950.jpg


家族が増えたとおばあちゃんは喜んでいますが、様子を見に来る娘さんは、どんどん不安になってアニマルクラブに相談をよこしました。


責任能力のない人にお世話された動物達の末路は悲惨なものです。「可愛いから、好きだから」だけでは何の解決にも保証にもなりません。

異変に気付いた周囲の人間が解決にあたることが重要なのです。



早速、妊娠中の母猫を手術しました。お腹はパンパンであと2、3日で生まれるか生まれないかのギリギリの所でした。

何とか間に合いましたが、結局生まれるはずだった子猫の命を奪ったことに変わりはありません。なぜ妊娠前に、子供が育つ前に連れて来てあげられなかったのか?と話を聞くたびに私は残念でなりません。きっと避妊予防センターのスタッフの皆さんもそう感じているのではないかと思います。


今回出産してしまった『菊子』は、まず5匹の子猫を育て上げて、それぞれの里親さん宅に送り出さなければなりません。そしたらすぐに避妊手術です。

菊子の姉妹猫『秋子』はまだ妊娠の兆候も見られないので早めに避妊手術をする予定だそうです。


ということで…


ジャジャーーーン❕里親大募集❕❕

①菊子Jr.
シャム系2匹、黒白、キジトラ、黒…性別はまだ分かりませんが、バラエティーに富んでいます。

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【菊子と菊子Jr.】


②2月に生まれた菊子の下の姉妹、『きさらぎ』と『ヘブ』ちゃんも、里親大募集です。

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【ヘブちゃん(手前のキジ白)】後ろにいるのは秋子です。

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【きさらぎ】



合計7匹の里親を募集します。菊子Jr.は4月7日生まれでまだまだ小さいので(ホワイト5よりまだちっちゃいです)6月に入ってからのお見合いとなります。『きさらぎ』&『ヘブ』は今度の里親探し会には参加します。


申し込みフォームはホームページにありますので、里親を希望する方はソチラからお申し込みください。


★里親希望、避妊去勢手術のご予約はアニマルクラブ石巻&避妊予防センターへ!!

【アニマルクラブ避妊予防センター】
毎週 木曜 10:00~18:30 受付
留守電&ファックス0225(23)2680
メールanimalclub30@gmail.com
ホームページ http://a-c.sub.jp/


★お願い★
お問い合わせのメールに返信すると、10件に1件くらいエラーで戻ってきてしまう事があります。
gmailなどは知らずに受信拒否設定されている場合もありますので、お問い合わせ&里親希望の際は、アニマルクラブ(animalclub30@gmail.com)からのメールが受信出来る様に設定・確認のほどお願いいたします。




2016年03月03日 (木) | 編集 |
※当ブログはリンクフリーです。画像・文章転載の場合も基本申請などは不要です。


『かざして募金』 ご協力お願いします。


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アニマルクラブ石巻は、1月7日からソフトバンクが提供する「かざして募金」の寄付サービスを利用開始しています。
スマホやPCから簡単に寄付ができ、SoftBank携帯電話の利用料金の支払いと一緒に継続的な寄付ができます。
(※SoftBankのスマートフォン以外をご利用の方はクレジットカードでのお支払いとなります。)


皆さんから寄せられた寄付は、アニマルクラブで暮らす猫や犬の医療費や生活費、また避妊予防センターで助けを必要としている動物達(飼い主不在の犬猫含む)の医療費等の助成金として使わせていただきます。

募金窓口
★クレジットカードの方はコチラ
★ソフトバンクのスマホをお持ちの方はコチラ

アニマルクラブのホームページにも専用の窓口があるので、ぜひともご支援をよろしくお願いいたします。


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高齢化社会の問題は動物たちにとっても暗い影を落としています。

飼い主が亡くなって残されるペット達。

亡くならないまでも入院などで自宅に戻れなくなることもあります。

お金なら誰もが進んで受け取りたがるでしょう。

形見であっても物なら捨てることができます。

では飼い主が居なくなったペットは…?


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写真のちょびこちゃんは、一人暮らしのおばあさんが飼っていた老猫さんです。先日認知症が進んだおばあさんが老人ホームに入るにあたり、荷物も運び出された家に一匹だけで取り残されてしまいました。


ちょびこちゃんにとって幸運だったのは、おばあさんの家に通っていたヘルパーさんが見兼ねてアニマルクラブに相談を寄越したことでしょう。


(保護されなければ、最早飼い主の意向は確認出来ないので、役所の選択は動物愛護センターで殺処分する他無かったかも知れません。)


高齢者に限りません。若い人でも引っ越しや入院などで同じ状況に遭遇した場合、「殺処分はかわいそう」と遺棄を選択する人が多いのが現実です。


私も野良猫のことをよく分かって居なかった頃は、「猫好きや餌やりさんは結構多いだろうから、野良になっても何とかたくましく生き抜いて行くんだろうな~」なんて思っていましたが…、そんなものは全くの幻想だったことを思い知りました。


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家の猫を見れば分かりますが、完全室内飼いされている猫にとって、外は恐怖でしかありません。車の往来などにパニックをおこし、必死で誰にも見つからない場所に籠城するでしょう。

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飼い主以外の人間は当然のこと、知らない猫にさえ警戒して隠れてしまう猫がどこから餌をもらうことが出来るでしょう?
飢えて衰弱して死んでしまうこともまれではありません。

(実際テンコちゃんはガリガリでフラフラしていたから保護出来たと言えます。)


どんな事情があっても犬猫を捨てることは犯罪です。違反すれば50万円以下の罰金に処されます。


先日観たテレビでも、ある動物保護団体は高齢者だけの世帯には犬猫を譲渡しない、という規定を設けているとありました。

アニマルクラブではそこまで厳密に禁止にはなってないと思いますが、私個人としてはせめて子猫や子犬を求めるのは止めて欲しいと思います。

小さい頃から飼えばよくなついて良い子になる、は幻想です!

成猫・成犬の方がずっと飼いやすいですし、性格も落ち着いて本当に自分に合った子を見つけることが出来ます。

老後の慰めとしてペットを飼うならば、その前に残されたペットを託せる人間関係を築いておくべきだと思います。そして出来れば引き取った人が苦痛にならないよう飼育に必要なお金をある程度残してあげることも飼い主としての責任だと考えます。



《急募❗》

アニマルクラブで犬猫のお世話をしてくれるボランティアさん大募集中です!週1~3日程度(平日)通えそうな方が居たらまずアニマルクラブにご連絡ください。




【アニマルクラブ避妊予防センター】
毎週 木曜 10:00~18:30 受付
留守電&ファックス0225(23)2680
メールanimalclub30@gmail.com
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※追記

ちょびこちゃん、声がとっても可愛いです(*≧з≦)!
でも診察したら途中でポロッと歯が抜けたって…、結構お歳かもよ~😅




2016年02月03日 (水) | 編集 |
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『かざして募金』 ご協力お願いします。


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可愛いと思って手を差し伸べた。

可哀相と思ってご飯を与え続けた。


様子が変わり始めたのには4ヶ月前から気が付いていた、・・・・でも。


「家で飼っている訳ではないし・・」

「野良猫を病院に連れて行くなんて、周りがどう思うかしら?」


そして肝心な所は見て見ぬふりをしてご飯だけはあげることにした―――――。


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アニマルクラブに連れられて来た時にはもう半分耳が腐り落ちかけていた「ミミちゃん」(仮名)

診察の結果、扁平上皮癌と判明。白猫に多いとは聞くけれど、大抵は手術で治るし転移などはしないとのこと。

でも連れて来た人(餌やりさん)は、告知した獣医師に、
「お金かかるなら(=手術代は出せないので)安楽死してもらえねすか?」と言ったんだそうだ。



ヽ(#゚Д゚)ノ┌┛<助けたいから連れて来たんじゃないのかよッ!!


後から話を聞いただけの私ではそれ位の悪態しか出て来なかったけど…、

アニマルクラブも保健所も同じものだと認識されているのだとしたら怖いことだと思う。

他の団体ではよく保健所から引き出した犬猫の里親探しをするのだけれど、団体から犬猫を保健所に引き渡すなんて事はまずありえないから。ホントに一方通行だ。


アニマルクラブでは保健所からの引き出しはしていない、一般の人からの相談が押し寄せる中で出来る訳がない。

・・・ミミちゃんがここに辿り着けたのは不幸中の幸いだと思う事にした。


ミミちゃんだけじゃないんです。


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ちょっとコチ似の「おうぎちゃん」も避妊手術に連れて来られて以来置き去りにされてしまった子。

麻酔にアレルギーがあるのか、手術前に死にかけ避妊を断念。それを餌やりさんに報告したら「じゃあ連れて帰ってまた外に離します。」って何の解決にもならない事を言うのでやむを得ず預かる事になった。調べたらエイズキャリアでもあった。


何十匹も猫がひしめき合う中では、おうぎちゃんをゲージから出す事も出来ない。もしかしたら一生ゲージ暮らしかも。


「この子(犬猫)にとって何が一番の幸せか?」 を考えず、「どうすれば自分が楽になれるか?」までしか考えが及ばない人達なんだろうなと思うけど、それで終わってしまったら犬猫の不幸の連鎖は断ち切れない。


私自身がそうである様に、まず現状を出来るだけたくさんの人に知って貰い、自分になら何が出来るかを考えて貰うきっかけになれば良いと思う。



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(阿部代表が)個人的に気になって、去勢の為捕獲したけど大腸にしこりが見つかり手術は中止。
さらに「長くはない」と宣告を受けた「豆粒」

手術後離す予定だったけど、今はこうして自宅隔離中だ。弱っているらしいけどかなり凶暴なので(重量級のネコパンチが飛んでくるぞッ♪)、お世話の度にスリルを味わう事が出来る。


とまあ、80匹以上猫は居るけど色々事情を抱えていて里親探しを断念した子達なので、お世話も人一倍掛かる訳です。


代表と数人のボランティアだけでは到底面倒見切れない数ですが、皆さんからのご支援があってこそ細々とでも続けて来られたんです。直接会ってお礼は言えませんが、毎日毎日感謝しています。




【追記】

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ミミちゃんの癌摘出手術も3時間の長丁場でしたが無事に終わりました!
皆さんからのカンパや募金のお陰で、またこうして繋がった命があります。
ひどい目にあったミミちゃんですが、人を恨むことなくとても友好的です。でもずっ~~っとか細く鳴いています。

ミミちゃんが安心するのはあの餌やりさんの側なんだろうな・・・。元気になったら迎えに来てくれると良いね。



【うっかり忘れていた里親探し報告】

今回は、

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うにくんと

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なつっこきょうだいのミーコちゃんに申込みがありました!


うにくんは既にお見合いが済み、里親さんも好感触♪先住猫さんともまずますの感じなので、間もなくトライアルスタートする予定だそうです。やったー!(^^)!★


ミーコちゃんは山形でのお見合いなのですが、7日に行くそうです。・・・雪、大丈夫かな???


一方、家のお嬢さんは・・・・

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会場での扱いがよほど不服だったのか、しばらくソファーの下に引き籠り・・


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ペリー兄さんの出迎えでようやくいつもの調子を取り戻したようです。(・・・ペリーがデカいのかコチがちっこいのか?)


眼力があるコチさんなので少しでも印象を和らげようと、ふわふわ首輪がも装備。

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成功してますかね?

お見合い希望の方居ませんか~?
コチの里親探しのページはコチラです。

可愛いですが今の所ベタベタ甘える系ではないので、膝乗りや添い寝をお望みの方は少し宛が外れるかも。
でも長く付き合えば甘々系に変身するする可能性は充分にありますよ(*^^)v

他の募集中の猫さん共々コチさんよろしくお願いします!



【アニマルクラブ避妊予防センター】
毎週 木曜 10:00~18:30 受付
留守電&ファックス0225(23)2680
メールanimalclub30@gmail.com
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★お願い★
お問い合わせのメールに返信すると、10件に1件くらいエラーで戻ってきてしまう事があります。
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2016年01月31日 (日) | 編集 |
私だけかも知れませんが・・、ホームページの活動報告(PC版)しか見られなくてスマホだと結構読み辛い(T_T)!

なのでこちらのブログにも掲載してみました。

パソコンは持ってないわ~、と言う方もこれだと読みやすくなると思います。





命の別名


【 支援者の皆様へ 】


「礼儀知らずな母に成り代わり、ご無礼お詫び申し上げます。今年もよろしくお願いいたします。」(バロン)

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「あけましておめでとうございます」という挨拶をしなくなってから、10年以上が経ちます。(年賀状をいただいた皆様、申し訳ありません。)抱える動物の数が増え、関わる相談事が深刻になり、対応に労苦が伴うに従って、大晦日も元旦も同じ事をしている自分が、何をおめでたいと掲げたらいいのか、見えなくなりました。ただ、「今年もよろしくお願いします」と頭を下げたい思いは、人一倍深いです。
腎臓病の猫達に皮下点滴をしていたら、テレビから除夜の鐘が鳴り出し…真っ先に頭に浮かんだのは、「寄付をいただいた方々に、とうとうお礼状を出せなかったな~」ということでした。老齢と病気持ちと性格的に問題があって集団生活ができない猫達を自宅に連れて来て…いつのまにか手の掛かる子達が14匹にもなり、毎日毎日やりたいことの何割かで《今日》が終わってしまいます。終わりにしたくないから、何かやっている現場でそのまま寝てしまうことも多いです。睡魔には勝てなくて、自分がやっていることが夢なのか現なのか…分からないことがよくあります。一度寝て目覚めて、アニマルクラブの約70匹の見回りに行ったり、お風呂に入ったり…時にはそこから運良く目が冴えて、やるべきことの一つ二つ片付けられることもありますが、アルバイトもしているので、進みは悪いです。
今は大きなパブのような店で働いているのですが、たまにそこで、私が経営していたスナックのお客さんだった方に出逢うと、その方々の方が萎縮して、落胆されてしまう場面がありました。私自身も、無料で借りている知人の駐車場まで深夜10分近く歩きながら、自分の生活の変化を痛感することがありますが、それはお客さんが抱く憐憫の情よりもっと現実的なこと…「お金を稼げなくなったな~」ということです。私は長年、水商売でこの活動を支えて来ました。津波で店がダメになり、再開しようにも、アニマルクラブがやるべきことは山積して、また夜の街の客層も他県から復興の仕事に来ている労働者に様変わりして、私が1人で小さな店を開いたとしても、うまく行く公算は立ちませんでした。コンビニで買ったミルクティを飲みながら、家で待つ病気の猫を想いつつ、凍てついた車の窓ガラスが解けるのを待っていると、「寄付を送ってくれる人がいるから、動物たちを養っていける」ことをしみじみ感じるのです。ここ4、5年で20歳前後の老猫が多くなり、その子達を少しでも長生きさせたいと処方食やグルメ缶や鶏肉や白身魚を買い、暖房費も惜しみなく使うようになると、震災前とは比べ物にならない程の経費を使うようになりました。
それなのに、お礼も伝えられないのは、何とも心苦しく情けないです。でも殆ど切れ間なく続いている老猫の介護と看取りや、野良猫の捕獲と不妊手術や治療、子猫の里親探しや市民からの相談への協力…日々私が追われていることが、 支援してくださっている方々が「して欲しい」と望んでいることなのだと解釈して、その願いに応えることを本分に生活しています。思いが届けば幸いです。



【 《薄情け》の顛末 】


私が忙しいのは、電話やメールで来る市民からの相談に対応して、担うことが次々出てくるからです。動物管理センターや保健所にいる犬や猫の里親探しをしている動物愛護団体が多いのは、一般市民を相手にしていると、強引な押しつけや約束の反故などが頻繁にあり、活動に支障をきたしたり、神経をすり減らすことが多いからだと聞きます。でも、この活動を高校生の頃から始めて世間を見てきた私は、動物たちを苦しめているのも市民なら、助けることができるのも地域住民だし、法律を変えるためには国民の意識の高揚や要望が必要だと感じています。だから、悩んでいる一個人に知恵と力を貸して、問題を解決してもらうことの積み重ねが、社会の認識を変えていくことにつながると考えています。
電話の向こうで60代位のおばちゃんが「野良猫の兄弟がくっついて、雪の中で震えているんです~可哀想だから、引き取ってもらえませんか?」と泣き声を出しています。誰かに「アニマルクラブはそういう不幸な動物たちを引き取って、面倒を見てくれるところだと聞いた」と言いました。私は「残念ながら、そんな力はないんですよ。だって、そんなところが本当にあるとしたら、石巻中から犬や猫が集まりますよ。土地、建物、食費、医療費、人件費…莫大な費用がかかりますよね…そんなお金、どこから出るんですか?」と返しました。「国で出してくれないんですか?」と言うので、「日本がそんなに良い国なら、可哀想な動物がこんなにいるわけないでしょう」と答えると、「そうだよねぇ」と小さな返事が返ってきました。ここから、ようやく現実の話になります。「この寒さに外に居たら、病気になってしまいますよ。ずっと飼えなくても、とりあえず保護してもらえませんか?沢山来る相談の中で、私達ボランティアが協力できるのは、相談をよこした方が自分ができることはやって頑張ってくれる場合なんです」と持ちかけます。相手が乗ってくれば「ペット禁止の市営住宅だ」とか、「お金をあまりかけられない」とか《障害》と感じていることに、こちらができる《手助け》を提案していきます。
翌日、おばちゃんがご主人の了解も得た、と電話をよこしました。折しも、天気予報はまた雪マークです。ボランティアさんに頼んで、おばちゃん宅に捕獲器3台とニ段ケージを運んでもらい、捕獲できたらすぐに入れるようにケージも組み立ててもらいました。「猫が3匹とも入りました!」と電話が来たのは夕方暗くなってから…こちらも猫のごはん作りの最中だったので、30分後に向かいました。市営住宅の裏口に、捕獲器が3台並んで、その中にはどれも、生後4~5ヵ月位の白っぽい猫が入っていました。おばちゃんは猫が捕獲器に入ったことでいっぱいいっぱいで、暖かい部屋に運ぶことも、せめて捕獲器の上に毛布を掛けてやることすら思いつかない様子でした。だから、私が来なければならないのです。アドバイスをして、用具だけ貸しても、配慮に欠ければ失敗を引き起こして「余計な手を出さなければよかった…もう猫の事に関わるのはやめよう」という事態にならないとも限らないからです。
捕獲器を持ち上げた途端に子猫はパニックになり、見ていただけなのに、おばちゃんはおののいています。私は着ていたジャンパーを脱いで捕獲器に掛けて、「こうやって見えなくなると、落ち着くんだよ。だからバスタオル持って来てください」と頼みました。バスタオルを掛けて、あとの2台を室内に運びました。次は、捕獲器を開けずに隙間から洗濯ネットを入れて、菜箸を使って被せていきます。おばちゃんとご主人はやきもきしながら見守っています。その息づかいから、「良い人達だなぁ~、猫を可愛がっているんだ」と背中で感じました。人馴れしていない猫と暮らすことに不安を募らせないように、場を和ませる提案をしました。2人に3匹の名前を決める宿題を出したのです。私がシャムミックスの子に苦戦して、うっかり指も咬まれて、ネットを血まみれにしながらやっと確保できた頃、この子の名前は『パンダ』に決まり、まっ白は『シロ』、目の上にブチがある子は『マユ』に決定しました。名前が決まると、親近感がグッと増して、2人はいつしか笑顔になっています。二段ケージの中に、ネットに入ったままのシロを移し、ファスナーを開けて、外からネットを引っ張り出しました。身柄が自由になったらまたパニクって、シロは上の段に上がったり下がったりしていた…と思ったら、私達はとんでもない光景を目撃しました。上の段にいたシロがケージの側面からスッと飛び出し、カーテンの陰に隠れてしまったのです。
「えっ、なんで…」ということをやらかすのが猫です。ケージはまだ新しく、どこも壊れていません。4センチほどの隙間から頭が通過するとは思えません。体重2キロはある猫が何故出られたのでしょう?でも、よく点検すると…金属に見える張り巡らされている側面の縦の線が、力を入れて広げるとしなるのです。飛び込んだシロの頭が押し広げたのです。茶の間のカーテンの陰に隠れているシロにそっと近づき、またもや洗濯ネットを使ってサッと身柄を確保しました。
さて、ケージを交換しなければなりません。またアニマルクラブに戻り、今度は頑丈な折りたたみ式の大ケージを2台、トイレや砂、毛布などを積んで、再び向かいました。ケージを組み立て、ペットシーツと新聞紙を敷き、毛布でベッドを作り、トイレと水入れを設置して猫を移していきました。必要な用具は全部持参します。次は、普段のお世話の仕方を伝授します。扉の締め忘れのないように、水やトイレを替える時には、まず猫にバスタオルを被せて目を見えなくすること…反復して、やってもらって覚えてもらいます。
最後に、これからどこまで人馴れするか、一緒に生活してもらって、自由に触れるようになれば里親募集をすること、懐かない時はワクチンや避妊手術をして、外猫として面倒をみていくことなどを提案しました。実際には手放し難くなって、飼い続けるケースも多いのですが、今日のところは先が重くなる展望よりも、「この子達の母親も捕獲して手術しなければ繰り返しになるよ」と目の前の課題を促します。捕獲器の使い方がわかったから、母猫を捕まえることも現実的になったでしょう。費用はできるだけ助成金を出すし、分割払いで構わないこと、送迎も手伝うことを伝え、「何か分からないことかあったらいつでも連絡してね」と言って帰って来ました。所要時間約3時間。どれ1つも省略できない作業ですが、3つの命が救われるなら有効な時間だったといえます。
アニマルクラブに来る相談事の多くの発端は、「なまじかけた薄情け」です。その人達の多くは、これからするべきことを私が言うと、「うちの猫でないのに~」という《耳にタコの言い訳》をします。「でも、他の誰の猫でもないから、一番近くに居て、気になっているあなたが何とかしなければ、どうにもならない」ことを解ってもらうように努めます。その結果、幸せに導かれる子達がいる一方で…関わったが故に《薄情けのツケ払い》がこちらへ回ってくることも、あるいは解ってくれたと思っていたのに、後になって《どんでん返し》が来ることも少なくはありません。
猫を1匹避妊手術に連れて来た人が「お金がないから1匹しか連れてきてないけれど、家には手術してない猫が10匹以上にいて、また妊娠している」などと言うので、「支払いは分割でいいから、生まれる前に全員手術しましょう」と勧めて、送迎も手伝い、できる限りの助成金も出したのに、約束の分割払いが殆ど支払われないこともよくあります。
避妊予防センターを設立する時に、スタッフを派遣してくれた動物病院の院長先生から「余裕を持って活動できるように、阿部さんにも報酬が入る位の料金設定にしなさい」とアドバイスされましたが、私は他の病院には連れて行けない人が利用できる医療施設にしたくて、「一般病院と遜色ない検査や麻酔薬を使いながら約半額の費用に抑える」ことを信条としました。自分は生活に追われながら、あちこちに回収できないお金を貸しているのは、一般の商売なら馬鹿呼ばわりされて当然です。しかし、頭を下げて約束したのに、分割のお金を返せない人は、自分では決して手術はしなかった人です。「手術してしまって良かった」と思います。「そんな人、飼う資格ない」なんて正論を言っても、社会にその猫達を助けるシステムもないのだから、ボランティアが協力てきるのは、避妊・去勢して増やさないことだと認識しています。飼い主に責任能力がない場合、「野良猫でもないのに~」と異論を唱えても、動物達は助からないと思います。
お金の損失で済まないケースもあります。エサを与えていた野良猫の相談を受けて避妊手術を勧め、連れて来たら病気が見つかったので「今日は手術は無理。まず治療してから」と伝えたら、それきり迎えに来なかったり、大したケガではないつもりで連れて来た野良猫が、手術が必要と診断されると「連れて来るように言われたから来たのに、うちの責任ですか…」と、猫だけ置いて帰ってしまわれたこともありました。
知らない人の勝手な振る舞いは一度怒って笑い話になりますが、信用していた人の変わりようはショックです。6年前、野良猫ファミリーが可哀想で保護したご夫婦に、避妊手術やワクチンの協力をして、その後は大事に飼ってくれていました。一昨年の11月、奥さんが入院して手術する間3ヵ月ほど預かって欲しいと、4匹の猫を託されました。アニマルクラブも4匹置けるスペースはなかったので、人馴れしている2匹はボランティアさんのお宅で預かってもらいました。どちらも、ケージの生活になりました。預かった猫の片方とこちらに残したオス2匹は、猫エイズのキャリアでした。これまで自由に外に出ていた猫達にとって、著しい環境の変化は心身の負担になったと思います。でも、それも「あと、少しの辛抱だよ。お迎え来るからね~」と言い聞かせていたのに…2月になっても連絡がないので、電話をすると「他にも病気が見つかり、入院が長引いている。迷惑だったら、外に放していいよ、元々は野良猫だったんだから」と言われました。
その頃から、オス2匹は食べづらい、ヨダレを流す…歯肉炎の症状がはっきりと出てきました。2週間に1度の抗生剤の注射が始まりました。血の混じったヨダレが止まらない『チャッピー』は、麻酔下で抜歯して、腫れてただれた口腔内の治療もしましたが、症状は続いています。飼い主の奥さんが特に可愛がっていた子でした。ご主人のお気に入りだった『マーチャン』も、ボランティアさんから「激やせした」と連絡があり、調べてみると腎臓の数値がかなり悪くなっていました。アニマルクラブに引き取りましたが、殆ど食べなくなり命も危うくなってきました。飼い主に、状況を手紙で送りましたが、なしのつぶてでした。医療費もかなり使いましたが、4匹を1年2ヵ月預かって、たった1度2万円の振込があっただけです。マーチャンを自宅に連れて来て、何か食べないか色々やってみると、殆ど食べなかった子が、色々食べ始めました。手をかけられ、甘えたい気持ちがとても強かったのだと思います。最後の最後に望んでいた想いを幾らか満たして、マーチャンは12月始めに私の腕の中で亡くなりました。
誰かが掛けた薄情けは、他の誰かが肩代わりしないと、中途半端な手出しをされた動物達は浮かばれません。動物達に、人間の事情を言い訳しても何の解決にもなりません。状況が変わってしまったなら、そこでできることをして、正直な見通しと責任の取り方を伝えるべきですが、それができない人が多いから《浮き世》なのかもしれません。最初の薄情けがなければこの世にはなかった命だと思って、命をつないでいくことも必要な活動だと感じています。



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捕獲器に入ったまま、洗濯ネットに入れられた『シロ』。この後ケージに移されてまもなく、4センチの隙間を通り抜けるマジックショーを披露。



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預けられて1年余り…飼い主に会えぬままこの世を去った『マーチャン』。せめてもの救いは、死ぬまで傍に居てくれた友達に会えたこと。『ムー』はいつも《介護猫》です。




【 あっぱれ、モッピ 】


頭に1キロの腫瘍を抱えて大手術を受けた老犬『モッピ』はあれから非常に頑張りました。頑張り過ぎて、飼い主のおばちゃんが「私の方が持たなくなるよ」と弱音を吐くほど、生きようと懸命でした。
手術後、モッピは食欲も旺盛で、前のように近所を散歩して、町内の人達にも声をかけられて…幸せを取り戻したかに見えました。しかし、それは「たとえ数週間でも前のような生活ができれば…」と願ったことに応えるかのような、期間限定の《奇跡の日々》でした。病魔はモッピの体中の皮膚の下から、次々と正体を現してきました。あちこちにイボが出て、凄まじい速さで、米粒大が豆粒大に、ブドウ粒の大きさから幾つかピンポン玉大になると…あの忌まわしい瘤とそっくりになってきました。それが体中に出て日に日に大きくなって、注射の針を刺す場所も見つからないほどびっしりと競り合うように成長していったのです。
そんな時に、思いがけない人から連絡をもらいました。前回の活動報告を見て、モッピの妹の『ベル』ちゃんの飼い主から連絡がきたのです。津波被害の大きかった渡波地区に住んでいましたが、ベルも飼い主一家も無事でした。ベルも14歳。秋口には腎臓病になって入院したりして、やっと本調子になってきたところだと聞きました。「モッピちゃんに是非会いたい」と言われて、案内することになりました。こうして、15年ぶりに姉妹の再会も叶いました。最初は少し距離をおいて、お互いを見たり、目をそらしたりしていましたが、少しずつ距離が近づいていきました。その日、おばちゃんは仕事でいなかったのですが、私から話を聞いてとても会いたがっていたことを伝えると、彼女はまたお見舞い行ってくれました。おばちゃんは大喜びで、きっとおしゃべりが止まらなかったことでしょう。その後で私に会った時に、楽しそうに報告しながら「ベルちゃんは元気で可愛いのに、なんでおらいのモッピばりがこんな病気になって苦しめられんだべ~」とまた泣き出しました。そして、この再会はアニマルクラブの助けにもなりました。折しも、長年勤めてもらってすっかり宛にしていた有給ボランティアさんから「申し訳ないが、先々が安心な正規雇用の就職をしたいので、年末前に辞めたい」と言われて、困り果てていたのですが、後任をベルの飼い主のしのぶちゃんに引き受けてもらえることになったのです。モッピがつないでくれた縁です。
その後、モッピの胸から脇の下の辺りにだっぷりとした瘤ができました。垂れ下がる瘤と皮膚の間からは化膿臭のする液が滲み出て、目の上にできたイボも巨峰ほどに大きくなって目を塞ぎ、時々出血して眼球に入り込みました。年末に向けて、おばちゃんの牡蠣の殻剥き作業場も忙しくなりました。私も毎日行って、モッピを庭に出して排便させ、《巨峰》の奥の目に目薬を入れたり、脇の下に回されて汚れを受けているタオルを交換して、抗生剤などを投与しました。
おばちゃんは仕事から帰ると、お湯でモッピの体を洗ってやります。たまに夜に行くと、湯上がりですっかりきれいになったモッピが茶の間で、おばちゃんと晩ご飯のお膳を囲んでいました。ある時、「すき焼きしたのに、アメリカ産の肉にしたら、モッピ馬鹿にして食べないんだよ~」と言うので、私が昨夜スーパーが半額になるのを待って買ってきた国産牛のステーキを出すと、ペロリと完食したので、おばちゃんは「どんどん贅沢になって困る~」と嬉しそうに笑っていました。おばちゃんも一人暮らしの心細さもあり、モッピの容態が悪くなってくると、43歳で癌で苦しんで亡くなったご主人のことや、その後100歳まで生きたお舅さんの介護の日々と重なって、《別れること、残されること》がどうしようもなく怖くなるようでした。
最近、アニマルクラブには高齢者からの相談が多くなりました。相談に乗ると、送迎や医療費の助成だけでは済まずに、家の掃除や修繕、近隣との橋渡しなど…その人の生活にまで関わることも多いです。そんな時、《動物愛護》は行政のかけ声で進むものではなく、『人と動物の生活を支える事』だと痛感します。飼い主が落ち着いた状況で優しく接してくれることこそが、犬や猫達の至福の時間なのです。特にモッピは長い間、人に馴れない犬でした。おばちゃんだけが大好きで、特別な存在でした。
昼間、玄関を入ってすぐの日当たりの良い廊下に布団を敷いて置かれているモッピを訪ねると、おもむろに起き上がり、入って来たのが私だとわかると、「なぁーんだ、あんたか…」というがっかりした顔になって、目薬をつけられたくなくて逃げようとしました。2度ほど容態が悪くなった時は、おばちゃんに仕事を休んでもらいました。しかし、1日か2日休んでモッピが持ち直してくると、すぐに仕事に行きました。おばちゃんは若い時に夫に先立たれ、昼夜働きづくめで3人の子供を大学まで入れました。子供たちが皆結婚して独立したのに、仕事があるなら体が続く限り行く《働き癖》がついていて、働かないと不安になるような所が見受けられました。私が最初に相談を受けたのも16、7年前、おばちゃんが水産会社の社長宅の家政婦をしていた時で、「こっそりごはんをあげていた野良猫が、久しぶりに姿を見せたと思ったら大けがをして、傷口からウジ虫が湧いている」という電話が始まりでした。人生の指針が《働いてお金を得ること》の日々の中で、社会から疎外される小さな命の痛みには敏感でした。正直な人で「あまりお金は出せない」と初っぱなから言うので、最初は無責任な図々しい人なのかと思いました。けれど、いつも必ず「自分が出せる分は出す」人でした。そして、お金のかからないことであれば労苦は惜しまず、献身的なお世話をしてくれました。こういう人が安心して通える動物病院を作りたいと思ってきました。
年末に向けて、モッピの様態はジリジリと悪くなっていきました。内服は受け付けなくなり、どんな注射も効果を著しているとは思えませんでした。どんどん食べられなくなり、殆ど寝た状態になってしまいました。2日仕事を休んだおばちゃんが「明日は仕事に行こうと思う」と電話をよこしたので、私は「いつ死んでもおかしくないんだよ」と、どやしつけました。仕事から帰って来て、もしもモッピが冷たくなっていたら、見も世もなく泣き叫ぶくせに…なぜ取り返しのつかない後悔につながるかもしれない道を選択するのか…私は時折、動物に対して曖昧な判断をする人に、無性に腹が立ちます。「こっちは死にかけているんだぞ。それより何を優先しようというのか…」と憤ります。「今、牡蠣剥きが忙しいから来て欲しいと言われているし、モッピには阿部さんが来てくれるから…」と言うので、「私は行けないかもしれないよ」と言いました。何としても、おばちゃんをモッピの傍に置いておきたかったのです。その夜、「モッピの呼吸が荒くなって苦しそうだ」と電話が来ました。「やっぱり明日は仕事休むから」と言ってくれたので、「とにかく傍に付いて、声かけてやって」と頼みました。翌朝、気になって電話すると、モッピは一晩中苦しんで、おばちゃんも飲まず食わずで付いていた、と聞きました。家の猫達に急いでごはんを食べさせ、モッピの家に向かいました。目の前まで来て、最近できたコンビニに立ち寄りました。衝動的にでした。入って、おばちゃんの好きそうなカステラや饅頭やプリンなど買って、玄関に着いた時です。おばちゃんの叫び声が聞こえて、茶の間に飛び込むと…モッピを膝に抱えたおばちゃんが、泣き顔で振り向き、「阿部さん、たった今、モッピ逝ったでば~苦しんで苦しんで、やっとラクになったでば~」と泣き崩れました。コンビニに寄らなければ、私も死に目に会えたと思います。けれど、苦しみながらの命の瀬戸際にモッピが会いたい人はただ1人…いつも嫌な目薬や投薬に来る私ではないから、私は私なりにモッピにお別れできました。「15年前保健所に送られなくて良かった。この家に貰われて良かった。立派な生き様は、私の心で生かされていく…」と感じました。モッピの亡骸を前にすすり泣くおばちゃんの背中を見つめながら、昔聴いた中島みゆきの歌が、レクイエムのように頭に流れていました。「~命に付く名前を心と呼ぶ~名もなき君にも、名もなき僕にも…」12月22日のことでした。


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しのぶちゃんが、モッピの妹の『ベル』を連れてお見舞いに来てくれました。この姉妹は15年前、東松島市の山中で捕獲された野犬の子。あまりにも脅えていた様子に、職員が保健所に渡せなかったそうです。



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久しぶりの再会に、初めはぎこちなかったけれど、庭で一緒におやつを食べたら、距離が近づきました。



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モッピの体中に出てきたイボは日に日に大きくなって、あの瘤のようになってきました。



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足腰も弱くなってきたモッピの腹に、輪にしたバスタオルを通して支えて散歩するおばちゃん。モッピが可哀想だとすぐに泣きます。



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モッピが目を落とした直後。おばちゃんは泣くことも忘れて、呆然としていました。




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大好きだった庭に咲いていた、おばちゃんが育てた花々に囲まれて天国に旅立つモッピ。




【 キタの応援歌 】


去年の今頃、私は、波乱の人生を共に生きてくれた猫『団蔵』の介護をしていました。最期の日々も納得がいくように寄り添って、団ちゃんは1月31日に私の傍からいなくなりました。そして、今年、同じように私の傍らで最後の命火を何とか灯しているのが『キタ』です。
キタは、アニマルクラブのオリジナルドキュメンタリー映画『動物たちの大震災・石巻篇』でポスターやDVDのジャケット写真になった被災猫~ホームページ上でも、《アニマルクラブ四守護神》の筆頭を担ってきた『キタの天満宮』です。《復興のシンボル》だったキタは、津波で甚大な被害を受けた、石巻市桃浦地区で生き延びていた猫です。震災後まもなく、横浜からボランティアで現地入りした『藤林さん』に保護されました。赤い首輪をしていたから、飼い主がいるだろうと、避難所にいる人達に聞いて回ってくれましたが見つからず、アニマルクラブに相談が来ました。その時、彼は電話の向こうで「顔中にセメダインのような物がついて、目も開けられない状態」だと言いましたが、『セメダイン』の正体は…ひどい風邪を引いて、顔中を汚していた『黄色い目やにと鼻水』でした。そのあまりの汚さに、会った瞬間に口から出た言葉「ゲッ、汚ったねー」から、『キタ』と命名されました。
すでに高齢で、エイズキャリアで、重度の歯肉炎がありました。回復を待って去勢と殆どの歯を抜かれる手術も受けましたが、その後も血ヨダレが続きました。皮膚も弱く、ちょっとした傷が治らず、どんどんひどくなっていくのが常でした。抗生剤と途中からはステロイドの注射が欠かせなくなり…病院とは縁の切れない子で、キタも「必要な医療を受けられたから」命をつないで来れたと思います。それを支えてくれたのは、藤林さんからずっと続いたカンパです。キタもその愛情に応えるように、血ヨダレを流しながらもガツガツと食べて、全盛期は6キロ近くまで体重が増えました。気が強く喧嘩っ早いので《浜の親分》と呼ばれましたが、《盲目のカリスマ戦士》だった『みみお』の反撃で負う傷がずっと治らなくて、カラーを付けて毎日薬を点けられることも繰り返しました。脱毛・フケ・皮膚の落屑…相変わらず汚いので、時々風呂場に連れて行かれ、大きなバケツの湯船に浸けられて薬浴しましたが…慣れてくると気持ち良さそうにしていました。
相変わらず食べているのに、ここ1年ほどの間に、キタはどんどん痩せてきたので、ステロイドの使い過ぎで糖尿病になったのかと思いましたがそうではなく、甲状腺の異常でもありませんでした。思っていたよりさらに高齢だったのかもしれませんし、エイズが発症したのかもしれません。とうとう2キロを割ってしまいました。骸骨に皮だけくっついている様相で、あちこち脱毛して悲惨な見た目ですが、名前を呼ぶと、先っぽだけわずかに毛が残っているライオンのような尻尾を振って返事をします。キタは、年末から何度か「もうダメか…」という状況を繰り返しています。抗生剤投与の後に吐いて下痢して仮死状態になってから、注射も内服も薬は一切止めました。沢山の薬のお蔭で症状を抑えてきましたが、弱った体はもう薬に負けてしまうと感じたからです。ここより先の生命線はキタの食欲と、私の配慮が的を得るかどうかにかかっていると思いました。
壊滅の浜で生き残った猫の生命力は、死の瀬戸際にあっても子機微良いほどに…尋常ではありません。嘔吐や下痢やケイレンですっかり消耗して、死んだように横たわるのですが、私が食事の支度を始めると、起き上がってヨロヨロとこちらへ歩いて来ます。「生きるために…」食べに来るのです。食べるからウンチが出ますが、やはり緩い便なので、トイレに行き着く前に出てしまったり、トイレの中でした途端に力尽きてそこにしゃがみこんでしまうことも多いので、お尻や足の裏がすっかり汚れてしまうこともよくあります。洗面所にお湯を溜めて骨と皮ばかりの足やお尻を洗ってやると、『浜の親分』はカッコ悪そうに目を細めています。夜は、布団で一緒に寝たがるので、電気敷き毛布とベッドパッドの上におねしょパッドと白い綿のシーツを敷いています。毎朝、シーツにはヨダレのシミと体から落ちる細かなカスが付いているので、毎日交換して洗います。《すり減っていく命が望むことに添うことが介護》だと思うからです。
そして、震災直後の混乱の中でそんな彼を救い出してくれた《キタの兄ちゃん》藤林さんもまた、尋常ではありません。「キタがもう長くないと思う」と私が送った一報に1月12日、仕事先の大阪から朝一番の新幹線で駆けつけて来てくれました。久しぶりに兄ちゃんと再会して、キタは少し活気を取り戻しました。藤林さんは、予想よりはキタが元気で嬉しそうでした。キタの状況を納得して、安堵して、それでもやはり寂しさを抱えて夕方に帰って行きました。
その後、朗報を送ることもできました。ホームページ上でも「作曲者大募集!」と呼びかけてきた『キタの応援歌』が、何とかキタの命がある間に完成したのです。結局、地元の作曲家の先生にお願いしました。歌うのは、ボランティアのかなえさん。『避妊センター便り』の《ちゃこぶーおばさん》です(実際の彼女はまだ若く、オバサンではありません。本当のオバサンになると、自分のことをオバサンだなんて言わなくなるものです)。かなえさんは、民謡歌手を目指して、地元のラジオ番組などにも出ている本格派ですから、乞うご期待ください。2月4日にレコーディング決定です。気持ちはあってもキタが食べる量は、どんどん減ってきています。CDができる頃には、キタはもうここにはいないかもしれません。たとえそうであっても…東日本大震災で壊滅的被害を受けた浜から、「津波乗り越えやって来た」猫が、「新しい愛に出会い」、命の限り生き抜いたことを伝えていきたいと思っています。


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去年も団蔵に付きっきりだった『トラ』が、ずっとキタに付いていてくれました。




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すっかり細くなったキタの背中。5.7キロあった体重が2キロを割るまでに減ってしまいました。




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起き上がれない日も、とにかくごはんを食べ続けたキタ。壊滅の浜で生き延びた根性、見せてくれました。



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「おらいの兄ちゃん、来てけたどー。」大阪から駆けつけた藤林さんとの再会に、おすまししたものの、目が開かない。



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1月30日、起きている最後の写真。この後、寝たきりに…。キタはムーが好きで、しんどくなってくると、ムーにしがみつくようにして寝ていました。




【 受け継いでいくこと 】


除夜の鐘でお世話になった方々へのお礼が言えなかったことを後悔した私は、元旦の朝、初夢のように「今日、行こう!」とひらめいた所がありました。市内の老人ホームです。一昨年の活動報告でも紹介した、18歳の動物愛護週間に、私の投稿が河北新報社の『論壇』に初めて掲載された時に連絡をもらい、アニマルクラブの会員1号になってくれた『岩井さん』を、昨年はとうとう一度も訪ねることができなかったのです。岩井さんは90代後半、「前より大分弱っちゃったかな…私のこと忘れてしまったんじゃないかな…」と不安を抱えながら、元旦の午後、何とか訪ねることができました。
岩井さんは眠っていました。耳が遠いので、声を掛けても聞こえません。そっと肩を叩くと、目を開けて私の顔をじいーっと見るのですが、声が出ないので、ヒヤッとしました。でも、次の瞬間には笑顔になり、喉の奥の方で何かを言おうとするのですが、言葉になりません。普段慌ただしく過ごしている分、ここではゆっくり、岩井さんの口からどんな言葉が出てくるのかを待とう、という気持ちになりました。
5分位してからでしょうか…岩井さんの記憶の回路と言語が繋がったようで、「みんな、元気すか?」と聞いてきました。私は耳元で大きな声を出して「元気だよ、猫80匹」と答えました。数を言うと、決まって右手で顔を覆って「あらら~」というのですが、今回はそのリアクションは見られませんでした。「前よりボケてしまったのかもしれないな~」と感じていたら、布団の中から、私が前に贈った黒猫ジジのぬいぐるみを出して見せて、ニコッと笑いました。そういうお茶目なところがある人なので、本質が変わっていないことにホッとしました。岩井さんのベッド脇の棚には、ホームの職員から贈られた「98歳おめでとう!」の色紙が飾られ、その後ろに、もう1枚色紙が隠れていました。筆文字だったので、思わず手に取ると…多分岩井さんの甥っ子さんが、昭和62年に書いて贈った短歌でした。岩井さんは野良猫クロとその子猫のチビを保護して、チビを親戚のお宅にもらってもらったのですが…その後チビが行方不明になった知らせを聞いてずっと心を痛めていました。クロは岩井さんの家で長生きして老衰で亡くなりましたが、どうなったかわからないチビのことは、30年経っても忘れられないのかもしれません。《果たせなかった約束~守れなかった命》は、ある個人にとっては戦争とか震災の記憶に匹敵する《人生の悔い》なのかもしれません。思い出したように、私の手から色紙を取ると、いつまでもいつまでも見ていました。五つの歌が書かれていましたが、その中から『猫は室内飼いにしましょう』を呼びかけるポスターに引用させていただくことを思いつきました。
4月18日~29日、仙台市の繁華街から駅に続く地下道で、大規模なパネル展ができることになったのです。『動物達の権利を護ろう』という女性弁護士グループとのコラボです。普段動物に関心を持つこともない人も、通りすがりに現実に気づいてくれるような展示にしたいと、夢はふくらんでいます。
岩井さんは大学1年生の私を家に招いて、「自分が長年願って来たことを、よくぞ世間に訴えてくれた」と、手料理とおにぎりでもてなしてくれました。ちょっとしょっぱいキュウリの漬け物を食べながら、戦争中でも犬と食べ物を分け合って生きてきたことや、看護士だったから、傷ついた猫や巣から落ちた鳥の雛を治療してきた話を聞きました。動物に関わる新聞記事等をスクラップして、感動的な物語やドキュメンタリーが出ると買って、いつも貸してくれました。このお宅に子供達を預けて、仕事に行ったこともありました。だから、今回、娘の成人式の写真を持って行ったら、それもいつまでも離さずに胸に抱いていました。静かに時間は流れて、私が帰ろうとすると、岩井さんは痩せた小さな手で私の手を強く握って、泣き出しそうな顔をしていました。
岩井さんから私が受け継がねばならないもの~それは取りも直さず、《小さな命を慈しむ心のゆとりが持てる、平和な日本を守っていくこと》だと感じました。宍戸監督とのCM作りも、基本シナリオはできたのですが、「音楽が欲しいな~」という所で止まっています。映像を見た後で心に残る歌詞を思わず口ずさんでしまうような、詩を曲に乗せて世に送り出してくれる人はいないでしょうか?私は子供の頃から、思いつくのは得意ですが、技術はないので、誰かとコラボして、思いがけない花が咲くのが大好きです。たくさん別れなくてはならない人生だから、その分、良い人に会いたいと望んでいます。
野良猫の捕獲や子猫のお見合いが入り、雪かきもしなければならなくなって…活動報告がなかなか完成しないうちに、とうとうその日を迎えました。奇しくも、団蔵と同じ日にキタが旅立ちました。1月31日午前2時25分、私がアニマルクラブのクラブの見回りに行って戻って来たのを待つようにして、「キタ、大丈夫だよ。おっかあ、ここにいっからね~」という声を聴きながら…静かなお別れでした。
「~命につく名前を心と呼ぶ~名もなきキタにも、名もなきおっかあにも…」と、またあの歌を歌っていました。


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30年前に行方不明になった子猫への短歌と、私の娘の成人式の写真を離さず、交互に見ている岩井さん。



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「キタ、大丈夫だよ。おっかあ、ここに居るからね」がいつしか口癖になっていました。



2016年1月31日




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